昨日は亡き義父の3回忌の法要でした。 親戚が集まるからと、このところ草取り、掃除ばかりしていたので、お昼を終えての帰り道、マイクロバスの窓から桜並木を見たときはしみじみ美しく思いました。 義妹は「桜を見ると病院へ通ったころを思い出すわ~」 と感傷的です。 「あのとき、もう桜、咲いてたっけ?」 記憶にない私です。^^ だけど、義父が桜のように潔く散っていったことだけはこの先もずっと忘れられないだろうな、と思います。 個人病院で手に負えなくなって大きい病院を紹介された 義父が受けた診断は末期の肺がん。 残された治療は大変リスクの高いもので 家族は誰も「手術を受けてみたら」とは口に出せません。 主治医のいきなりの告知、そして治療についての専門用語だらけの説明をどこまで理解していたかはわかりませんが、義父はこれだけは言いたいと 「自分は特攻隊の生き残り、もう充分生きました。いつ死んでも心残りはないので延命治療はしないでください。」 酸素マスクをつけ苦しそうに言いました。 説教好きタイプな義父、こんなときでも話が長くなろうとするのですが主治医は真剣に聞いてくれました。 「おじいさん、話がそれてるよ」制止する私;^^ それから3週間、生きました。 お見舞いに来てくれる人皆に手をあわせて「ありがとう、ありがとう」を繰り返し、だけど入院した当初は握手をする手が力強く私の母は「おじいさん、まだこんなにしっかり握れるよ」驚いていました。 その握力が日に日に衰えていき、言葉を話すこともだんだんできなくなり、そんなとき私は 「おじいさん、じゃんけんしよう」と言って グー、とかチョキと手を出すと 微力ながらもパーにしたりグーにしたり反応してくれるんです。 まだ目も見えてる、声も聞こえているんだと思いました。 夫は義父のために1枚のCDを買ってきました。軍歌。 それを毎日イヤホンで聞き 義姉がすりおろした「スイカ」が最後に口に入れたものだったでしょうか。 義母が疲労で倒れた2日後、義父は静かに息をひきとりました。 最後まで咽喉仏がゆっくりゆっくり動いていたのを皆で見守っていたことが昨日のことのようです。 配偶者を失くした義母は頼りなげで本当に気にかかることばかりですが、3回忌でちょっとひと区切り、私もこの義母から少しだけ気持ちの上で解放されたいなと思うこの頃です。
by maplemama71
| 2008-03-31 12:14
| つれづれに
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